森のようちえん ぴっぱら

自然と人とふれあって生きる その人らしさが芽生えていく おとなもこどもも共に育ち合う 鷹栖の森のようちえん

心のそばに       なっつ記

心のそばに       なっつ記

ぴっぱら通信NO453号より転載

心のそばに       なっつ記

芯のある人間になりたい。本当に自分が生きたいように生きれているのか。わたしが欲する生き方きっとこれじゃない。なんか違う。変わりたい。「ここじゃないどこかへ行かなきゃ変わらない。」そう思い、6年前、本当の自分を探しに色んなまだ見ぬ人・もの・コトに出会うために秋田から飛び出した。
自由を謳歌していた短大時代に「音次郎」の「スーパー紙芝居」に出会い、「ぴっぱら」へ辿り着いた。
それから丸3年。その間、本当に四六時中、自分とぴっぱらと向き合いながら過ごした。「自分」と「ぴっぱら」のことその2つをとことん突き詰める日々。
そして今、長年みんなが愛した「ぴっぱら小屋」のことを思う。私が出会った時はもう現ぴっぱら小屋とほとんど変わらないものだった。カメラデータ整理係として小屋の建て始めを幾度となく眺めて、勝手に知っているつもりでいる。当時の写真だけでも伝わってくるのは「色んな人がここで巻き起こることを面白がりながら生きることを楽しんでいること」。
 心の中で思っているたくさんのことを言葉にできない・伝えられない「辛さ」「苦しさ」新鮮でめまぐるしいこどもたちとの「楽しい」「幸せな」日々。今ここに自分の中に確かにある気持ちの揺れ動き。言葉より涙にしかならなかった怒涛の1年目が鮮明に蘇る。そういえば…ぴっぱら小屋の影で何度泣いたことだろう。春夏秋冬、朝みんなが来る前、あの3本の白樺の木陰で小屋にもたれかかりながら、大雪山を眺めれば眺めるほど悔しくてやりきれなくって。そんなこともあったなぁ。今が楽しくてこれを書くまで忘れていた。
そんな私が「今の自分が1番好き」「今が1番楽しい」と思えているのは紛れもなくその時間があってこそだし、私にとって「ぴっぱら小屋」は苦楽を共にした仲間のような感覚。仕方がないことわかっているけれど、やっぱり寂しいよね。たった3年だったけれど。創設以来、関わった人の数だけきっとそれぞれに思い入れがあるであろう「ぴっぱら小屋」。
そして、私はまたみんなで新しい建物をそんな風に愛をもって共に大切にしていけると感じている。「今日も楽しいことがきっと始まるよ」私がぴっぱらに来てから毎朝思うことです。これからもきっと。そんなワクワクも心にもちながら。きっとまたこれからのみんなをそっとそばで支えてくれる場所になると願って。

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