森のようちえん ぴっぱら

自然と人とふれあって生きる その人らしさが芽生えていく おとなもこどもも共に育ち合う 鷹栖の森のようちえん

ぴっぱら小屋への想い おとじろう

11年前、まだりかこが、カフェの「らいる」をやっていた時。徳島のフリースクールトエックで行われた『カウンセリングセミナー』から帰ってきた夜。「私、『森のようちえん』やるわ。建物がなければ『森のようちえん』となんだって」とりかこが言った時の、目からうろこが落ちる感じは、今でも覚えています。

 「自然があって、そこで子育てをする大人がいれば、何億円もする園舎がなくても、子どもは、立派に育つ。いや、むしろ園舎なんかない方が良い」という想いにワクワクしました。そして、週に1回、前庭の枕木の上に親子が集まり、みんなで散歩をし、戻ってくると、薪で炊いたご飯を食べて自由に時を過ごす『森のようちえんぴっぱら』がはじまりました。春とはいえ、太陽の日差しの強さに苦労しました。ぴっぱらのある日は、子どもたちが来る前に、工房ぞうさんのみんなと、タープを建てたり、はずしたりしました。その後、雨の心配もない屋根を作ろうということになり、当時のお父さん達と、柱と屋根だけがある東屋を建てました。屋根は、太陽の光が入るポリカーボネイト。風よけのための壁は、ビニールハウス用のビニールで囲みました。たまたま近所で解体される家の窓もぴっぱら小屋に取り付けました。その後は、カワゴンが作ったモバイルハウス(動く家)をドッキングしたり、徐々に屋根を広げて、空間を広げて「すきまか~ぜ、あ~まもり~♪」と戦いながら、みんなが使いやすいように工夫をし、今のぴっぱら小屋が出来上がりました。
 そして、今年の10月から実施されることとなった『幼児教育の無償化』。建物のない『森のようちえん』は、対象外とされてしまいました。「すべての子ども達」って言ってたじゃんというつぶやきは、むなしく空に消えてゆきます。そしてそれは、ぴっぱらが「地域裁量型認定こども園」をめざす契機となり、同時に、その基準を満たす「建物」を建てることを意味しました。建物がないから「森のようちえん」だったはずのぴっぱらが、建物を作ることになったのです。そして、そのためには「ぴっぱら小屋」を壊し、白樺も2本伐らなくてはなりません。 でも、今の「ぴっぱら」という場を守るためには必要なことと思えました。
 子どもたちが自然と触れあう生活をするための「拠点」、「シェルター」としての建物であれば、森のようちえんらしい新しい「ぴっぱら小屋」を出来る限りみんなの力を借りて建てるようと考えました。りかこから「森のようちえんやるわ」と聞いた時のワクワク。日差しを遮るために柱6本を建て屋根をつけた時のワクワク。もう一度、みんなで感じられたらと思います。
 25年ほど前に、ここに家を建てて引っ越してきた時には、何もなかったこの土地は、毎年毎年変化をしてきました。砂利だった道路は、幅も角度も変わり舗装になりました。周りの田んぼですら、その大きさも場所も変わりました。それでも、今、毎日子供たちが集まって歓声が聞こえてきます。こんな場づくりは、私達夫婦が出会って、一緒に何かやりたいと思っていた時からの『夢』でした。変わらないものもあれば、変わるものもある。変わることを怖がらずに楽しんでゆければと思います。

写真は一年目のぴっぱら小屋

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グラウンドファンディング残り3日となりました。http://npoproject.hokkaido.jp/project/489.html?fbclid=IwAR3TX9O5oRRLalTgk_EB1BtbxqMn2gn0H6niokTAf4sK6yQon4UU4df8W-U