森のようちえん ぴっぱら

自然と人とふれあって生きる その人らしさが芽生えていく おとなもこどもも共に育ち合う 鷹栖の森のようちえん

ぴっぱら通信NO469より転載 しみじみ想うこの頃です 

ぴっぱら通信NO469より転載

しみじみ想うこの頃です    
                     りかこ記

人は誰しも何らかの生きづらさを抱えて生きている。一番付き合いにくいのは自分だと思うことさえあります。もっとうまく生きられたらな~と、時に下手くそな自分にガッカリしたりもします。人としての自信がついたのはここ数年のこと?60歳に手が届くころになってようやくなんです。いつもいつも失敗を重ねて、その度に立て直して、また前に向かって行くを繰り返してきた時間。ひょっとしたらつらいことの方が多い人生かも。それでも一瞬、誰かと何かを分かち合えた時、わかり合えなくても、何かしら心が通じ合えた時、誰かの心がほんの少し動いたと感じる時、そんな一瞬の喜びがあるから、その一瞬に出会いたくて人間やっていられるのかな。さてさてこどもたちも毎日、自分や人との関わりの中で日々を精一杯生きています。自分を生きています。それは、時に見ているこちらの方が切なくなることもあるくらい。殊に我が子が人との関係でうまくいかないことがあると、切ない。親になったらそういうことが多々ありますよね。いやなことがあっても我慢してしまう子、他者に強く出てしまう子。自分を守るために、誰かを傷つけてしまう子、人に合わせてしまう子。そう、人は自分を守るために何らかの術を使って人との関係性の中で生きています。自分を守るだけでなく、相手の気持ちも考えながら折り合いをつけて人と付き合うには、相当な年数がかかります。
 毎日、こども達は一杯遊び、いろんな人との関わりの中で自分にとっての不都合が一杯起きます。何度も失敗しながら、それでも関係を修復しつつ互いを深く知り合うこと、その上で認め合うこと。そして、そもそも人は信頼してもいいということ。許せなかったり、許せるようになったり、時間がかかってもいつか「ああそういうことだったのか」と思えること。幼いながらにこども達は毎日修行のようなことをしています。私達大人も似たようなもの、こどもを通して人としての在り方、関わり方を学ばせてもらっているのだと思います。ぴっぱらは自然の中でこどもを遊ばせて伸び伸び育つ場と思われがちですが、実は人との関わり方を学ぶ場なのだと改めてしみじみ想うこの頃です。我が子の子育てという観点から少し離れて、みんなで子育てする、育ち合うということをもう一度考えてみたくなった、ちょっとセンチメンタルな10月の終わり。秋のせいかな?

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